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2008.02.08
プログラミング言語というのは習熟していくある段階までは自分の外部にあって変えることができない 「環境」だし,その不変の「環境」の中で制約に従って生きていくものだ (Perl6確かにスゲーぜみたいに).でも,自分の理解がだんだん進んで行くと, 自分たちで言語を作っているコミュニティに参加したり,言語そのものも変えられるようになる.
一方で,「環境は変えられない」と考える人たちも確かにいて, それは言語の仕様に理解できない所や納得できない所があったら 「悪いのはわからない自分,あるいはわからない他人である」と思うのが正しいとする人たちのこと なんだけど,要するに絶対標準を求める人がいる.それはわからないではない. その言語内でわかっている人間がわかる範囲で考えればいいとか. いうなれば完全環境ユーザーである.で両者は対立している(ように見える).
解の一意性よりも,意図的な曖昧さを導入することで,構造をパターン としてデザイン(プログラミング)することが求められている. と
これ
を見ていて思った. そして,ユーザーと言語開発者が一体化している場合,このような発想が出てくるし, いろいろどんどんいいものも出てきている.Donald Knuth天才とか一方的に リスペクトしてる限りにおいてはwikiだって進化しない(リスペクトは大切だけど). 両者の一体化は完全なものでなくてもいいけれど,両者がぜんぜん分かれ離れている場合 なかなかそれは難しい. 建築でも都市でもネットも同じような状況にあって,それには「仕組む」ために何が必要かということではないかと思う. リファクタリングのような仕組みが重要ではないかと思う.
ジュリーシーズン到来である.前半戦で聞いた中で気になったもののメモ.
矢原有里さん「景観計画に向けた住民参加の仕組みづくりに関する研究」世田谷 風景資産活動における住民の役割の整理ができるとおもしろそう.しかし,,風 景づくりの本質とはいったいなんなのか.そこに持続性と小さな創造性と調和を 同時にもたらすために何が必要なのかを考えるとき,一方的な価値の押し付けも 矢鱈な住民参加も意味がないことに気づくはずである.リソースの配分スキーム が重要なわけだが,役割の分化(による面倒の低下)と満足を感じる仕組みの考 え方が明確になるとよいのか,,
山田渚さん「川や海に囲まれた島地における明確なエリアエッジによるまちのま とまりの形成と回遊性についての考察〜横浜における埋立の歴史を例として」 エッジとは何か?講義でイメージビルディングの説明をしていていつも困るわけだが,,, 単純に物理的な河川や軌道,埋没したエッジを再生することの意味って何だろ. エッジは回遊の限界領域を決めるので,その領域内に圧をもたらして回遊を 活性化する機能がある.横浜でいえば南北に行動をエッジ沿いに引き伸ばす 効果がある.エッジ近辺の移動が多いのはそのせいだし,横浜で東西方向の移動が 少ないのにはそういう意味がある.横浜のエリアマネジメント 用のモデルを考えるとき,イメージアビリティの中でディストリクトとエッジの 概念をある種の記述単位として回遊の表現に持ち込めるとオモシロそうだ.
横田知大さん「日常会話におけるあいまいな空間言語の使われ方」 「の近く」という空間表現に着目して共起する地名を分析していておもしろい. 言語能力(ボキャブラリーや表現力)による違いが出ているのか,空間がもって いる構造が言語を生み出しているのかを識別する分析手法が必要かも.ソシュー ル流なのかチョムスキー流なのかが混乱している.いや混乱してもいいけど結論 が明確でないので,言語表現の構造化モデルが先にかまして,確率モデルでイン スタンスとしてつくられた表現をウエブでパラメータ推定するみたいな方法がすっ きりするのではないか.とか.
宮里孝則さん「地域計画のあり方と人的資本に着目した都市圏形成に関する研究」 広域計画の考え方に人的資本の交流を導入しようとしている点がおもしろい.実 際に広域計画を考える立場でいえば,分析的な広域レベルの交流の実態を下敷きに, 広域計画をつくる人たちがそれを読み込み薄めたり強めたりしようとするのが, ある種の広域計画ではないか.それは個人の広域圏の情報の縮約構造 に関係してるような気がする.情報の単位を整理すること.その単位間の関係を 表現する指標をさらに明確化することで,たてられた計画がいったい「何に」引 きずられて決まっているのかを抉り出したい気が..
原裕輔さん「コーディネーションの研究-契約が意思決定や行動に与える影響に 関する基礎研究-」パネルで集団ゲームのルールを明示した場合としない場合の パラメータ比較をしている研究.パラメータ推定するなら差分方程式にして属性変化 に対する(差分的)感度そのものがどう違うのかを参照属性の足き問題としてやるの が研究としては楽しそう.コーディネーション研究はおもしろい.が, 「バストリガー」がいったいどういった現象を引き起こしていて何が本質的だと 思って研究を進めているのかが正直よくわからなかった. なんとなく進化ゲームで最適ルール(最適利他)の決定問題をやりたいのかな と思ったのだけど.
2008.01.20
これ
とか.なんか本家MITよりもこちらの方がよさそうに見えるのはMichelがいるせいかしら.とか.
実空間というよりも行動文脈空間として考えた場合,確率ロボティクスは萌えである.
言語モデルについて関心があって調べていますが,言語形式を観察・記述する構造主義的アプローチや認知心理学的な アプローチだと「風土と言語」みたいな話になってきて,それはそれでおもしろい話がたくさんあったりします.
たとえば日本のことわざの「過去は水に流す」という表現があるように,過ぎ去った過去は忘れ, 過ちはいつまでも追求しない,そのほうが個人の,集団の今日の活動に有利であるという『今』を重視する文化 があるとか.また同時に,重視される『今』の出来事は必ず当事者の生活空間で起きていて,「鬼は外」は 日本の空間概念をよく表した言葉だと思いますが,この諺においても関心は常に集団の内部にあって, 外にはない.たとえばお盆に典型的な祖先崇拝の理由も,「ここ」の出来事にかかわり,毎年「ここ」に帰っ てくる霊への関心にあるので,そういう物語の記述が多かったり,そいうのは結局日本の風土や稲作文化に よるものだとか.という見方はなかなかおもしろいものです.
しかし果たして,そういう日本語で描かれた文章における表現は,日本の風土に帰着させて 考えるべき問題なのでしょうか.私が好きな夏目漱石大先生の夢十夜の一説にこんなのがあります.
こんな夢を「みた」.和尚の室を退って廊下をつたひに自分の部屋へ帰ると行燈がぼんやり『点っている』. 片膝を座布団の上について,燈心を掻き立てたとき,花の様な丁字がばたりと朱塗りの台に「落ちた」.
漱石先生は,過去形の中に現在形をたくみに挿入することで,その文体に独特のリズムと, 生々しい臨場感をもたらすことに成功しています.本来であれば半過去という時制を用いるべき ところですが,日本語という言語には(フランス語にあるような)半過去がない. そこでこういう表現を使うに至っている.かなり舌足らずですが,結局言語を支配しているのは, 言語を作り出す人間の能力そのもののであって,言語形式やその表現形式を観察・記述する 構造主義的アプローチや認知心理学的な手法論では見えてこないものがあるのでないかという ことです.能力の高いプログラマーがコンピュータ言語がなんであるのかによらず,ある程度の機 能の実装を考えられることから考えてみても,言語というのは本来生得的なものであって, 言語のクラス生成に着目したチョムスキー階層のような考え方の方が言語モデルのアプロー チとしては,やはりしっくりくる気がします.
行動モデルがパラメータ推定や単純集計による個別現象のよりよい理解に焦点をあてるのに対して, ネットワークモデルがシステム的なモデル表現による複眼的な全体理解と政策評価のインプリケーションを 重視するのと同じようなものかもしれません.
2008.01.01
私が(耳にして)好きな日本語のひとつに『よいお年を』がある.
schemeでアレをつくる.レース復帰.好きなことを突き詰める.みたいな感じで.
2008年がやってきた.